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【SS】ロランの恋

リリアーヌとの出会いは、ボクがまだ五歳の頃だった。

彼女は、わずか一歳。
言葉も発せない、そんな幼い時からの出会いだ。

彼女が成長するにつれて、
「ろらんさま……? ろらんさま!」
と、無邪気にボクを呼ぶ声が響くようになった。
彼女はボクを、兄のように慕ってくれていた。

――そんなある日。十歳になった頃、母上から突然告げられたのだ。

「ボクとリリアーヌが結婚……?」
「そうよ、ロラン。あなたとリリアーヌ様は将来、結婚なさることになっているの」
「け、結婚って……ボクたち、まだ子どもだよ」
「ええ、そうね。でも、大きくなったら結婚するの。これは家が決めたことだから」
「そうなんだ……」

幼いボクには、その言葉の重みも意味も理解できなかった。
ただ耳に残った――政略結婚、という響きだけが。

結婚なんて、同じ年くらいの相手とするものだと信じていた。
だから年下のリリアーヌを恋愛対象として、ましてや結婚相手だなんて、到底考えられなかった。

結婚は家の都合で決まるもの――幼いボクでも、それくらいは分かった。
妹のように慕ってくれるリリアーヌを、恋愛対象として意識してはいけない――そう自分に言い聞かせるたび、自然と距離を置くようになっていた。
年上として、リリアーヌの手本であり、守るべき存在であらねばならないという思いも、胸の奥で静かに重くのしかかっていた。

ある日、リリアーヌが薔薇を見に行こうと誘ってきた。

「ロラン様、今日はいいお天気ですね。薔薇を見に行きたいのですが……ご一緒いただけませんか?」
「ふんっ、ボクはアーシュベルト家を継ぐ者。キミと違って忙しいのだ。一人で行ってきたまえ」
「……すみません、わかりましたわ」

ボクとリリアーヌが結婚する?
冗談じゃない。
すまない、母上。
その願いは叶えられそうにない――ずっと、そう思っていた。

――そして今。
24歳になったボクは、自室の窓辺に佇み、19歳のリリアーヌの笑顔を思い浮かべていた。
気づけば、同じ存在でも見え方が変わっていた。

変わらず接してくれる優しさ、柔らかい微笑み。
それは幼い頃からずっと慣れ親しんできたものだった。
だが今、その仕草が、微笑みが、胸をざわつかせる。

どうしてだろう。
あんなに見慣れているはずの姿なのに、落ち着かない。
妹としての愛しさ……いや、違う。違うような気がする。
でも、それが何なのか、自分でも分からない。
(いけない……妹のように慕ってきたリリアーヌに、こんな気持ちを抱くなんて)

そう自分に言い聞かせても、気づけば彼女が夢に出てくる。
会えないと胸がざわつき、無意識にリリアーヌのことばかり考えてしまう。
食欲も減り、執務に身が入らない――自分でも制御できない、心のざわめきに戸惑っていた。

――胸が、苦しい。なぜだ。

リリアーヌはボクを愛してくれているはずだ。
何も不安に思うことなどないはずなのに……。
なのに、どうしてこんなにも胸が締めつけられる?
(まさか――リリアーヌは、ボクのことを好きではないのでは……?)

そんなはずはない。
ずっと昔から、リリアーヌはボクのことを「好き」と言ってくれていたはずだ。
くっ、どうして……!

考えれば考えるほど答えは出ない。
胸のもやもやは晴れず、気分転換のつもりで近くの広場まで足を伸ばした。


もう24時前。
こんな時間に外を歩くのは久しぶりだ。

リリアーヌ……キミは、ボクのことをどう思っているのだ。

夜空を見上げていると、コツコツと足音が近づいてきた。

――誰だ、こんな時間に。

振り返ると、そこにはオフィリアがいた。

普段は夜更かしなどせず、古書に囲まれて静かに過ごしているはずの、文学少女の彼女が。
こんな夜更けに外にいるなんて――ただの偶然か

「誰かと思えばキミか、まったく。貴様は本に囲まれていないと落ち着かぬのだろう?さっさと帰りたまえ」
「んー、となり座るね〜」
「おい!人の話を聞いているのか!?ボクの隣に座ることなど許可してないぞ!」
「はいはい、わかったわかった〜」
「わかってないだろ、絶対」

「で?どうしたの、こんな時間に。もう日付が変わるよ?」
「それはキミに関係ないことだろう。そちらこそ、寝る時間ではないのか?」
「明日の準備をしていたら、トボトボ歩くロランくんが見えて……つい心配になって、着いてきちゃった」
「そ、それは……」

オフィリアは、鋭い感覚でボクの心を見抜く。

「ロランくん……もしかして、リリアーヌ様のこと、気になってるんじゃない?」
「ばっ!?な、なにを……!」
「ふふっ、そんな反応してたら、すぐバレちゃうよ? 私たち、何年一緒にいると思ってるの」
「ま、まだ……そんなことは……」
「そっかー。もしかして、気づいてないだけで、もう恋しちゃってるのかもね」

オフィリアの目は、いつだってボクの心を読んでいる。

「ふふっ、そんなに思いつめた顔して……」
「な、何のことだ」

「だってさっきから溜息ばっかり。まるで失恋した人みたいだよ?」
「そ、そんなわけが……」

「でね、胸がざわざわするのって、嫌われてるからじゃないの」
「はっ!? な、なにを……」

「それ、恋の症状。心臓バクバクしたり、食欲なくなったり、相手のことばかり考えちゃうやつ」
「……こ、恋……だと……!?」
「そう。鈍感なロランくんでも、やっと気づいたってこと」
「ふんっ……ボクはずっと、リリアーヌを特別な存在として見ていたさ……妹のように、だが……」
「なるほど〜。それね、気づいてないかもしれないけど……会えないと胸がざわつく、無意識に相手のことを考えちゃう――それって、もう恋してる証拠だよ」

「ば……バカな……!?」

――胸の奥が熱くなる。オフィリアは軽やかに笑いながら、ボクの心を覗き込むように見つめる。

「ふふっ。だからね、ロランくん。ついにリリアーヌ様を“ひとりの女性”として意識しちゃったってこと。私は嬉しいな。『空気の読めない嫌われイケメン皇子様、ロラン=アーシュベルト、ついに恋をする!』って物語が、やっと動き出すんだから!」
「な、なんだその物語は……! ふんっ、貴様は間違っている。ボクはリリアーヌを……ずっと特別に想ってきた。大好きだ。結婚したい……いや、今すぐ抱きしめたいくらいに……!」

「忘れたの?ロランくん、『リリアーヌは年下で妹のような存在だ。恋なんてありえない』って、はっきり言ってたじゃない」


ああ……確かにそんな話をしていたな。


「貴様は本当に、くだらぬことはよく覚えてるな」
「ふふっ、ロランくんは私の推しだからね」

バカなことを言う。

「いつからリリアーヌ様のことを意識し始めたの?」
「……そうだな、あれは――ある日のことだった」

外での執務をしていたが、失敗を重ねて父上や母上に迷惑をかけてしまった。
アーシュベルト家を継ぐ者として、情けない。
落ち込む姿など、リリアーヌには絶対に見せられない――そう思っていたのに、気づけば彼女はそっと部屋に入ってきていた。
慌てていつもの表情を取り繕うが、心の中は乱れていた。
その日のリリアーヌは、いつにも増して優しかった。
ハーブティーを差し出す手と、そっと触れ合う指先。
柔らかく微笑む瞳、ほんのり色づく唇、光を受けて銀色に輝き、さらさらと揺れるロングヘア――
変わらぬ姿のはずなのに、その優しさに触れた瞬間、胸が弾むような感覚に襲われた。
無意識に目が離せず、心はリリアーヌに引き寄せられていた。
気づかれまいと押し込めようとしたが、抗えなかった――見惚れてしまっていたのだ。
その日の彼女は、いつもと違って見えてしまっていた。

「なるほどね〜。ロランくんも疲れていて、心身が弱っていたでしょ?
そんなとき、リリアーヌ様のささいな仕草や優しさに触れて、あらためて一人の女性としての魅力に気づいちゃった――そして気づかないうちに、心が動いてしまった、と」
「そうなのかもしれない……」

「素敵じゃない!恋なんて突然だよ?何がきっかけで相手を意識しちゃうかなんて、分からないんだから。ロランくん、隠し事は苦手だもんね〜。よく頑張って耐えたよ。もし私に話してなかったら、またリリアーヌ様に変なこと言ってたんじゃない?」
「ぐっ……!」

「覚えている?あの時――私がナンパされてたとき、助けてくれたでしょ?」
「ああ……あの時か」

オフィリアの表情を思い浮かべると、胸の奥が熱くなる。
あの下衆な男たちに囲まれ、無理やり連れ去られそうになった彼女を、ボクは一人で助けに行ったのだ。
傷だらけになりながらも、決して逃げず、必死に守り抜いた――あの瞬間のことを、今でもはっきり覚えている。

「ロランくん、『ボクはアーシュベルト家を継ぐ者だ!』って叫んで、助けに来てくれたんだもん。笑っちゃうけど、すごく嬉しかった」
「別にキミを助けたいと思ってはいない。父上と母上、それにキミのご両親にもよろしく伝えられている。それだけだ」
「ほら、すぐウソ言う!アーシュベルト家の護衛を呼べば一瞬で済むのに。それでも、ロランくんが一人で立ち向かってくれたのが嬉しかったんだよ」

「ふんっ……下衆どもなど、ボク一人で十分だ」
「そういうところ、リリアーヌ様もちゃんと見てくれていると思う。お調子者だけど、情に厚くて、『俺が守る!』みたいな男らしさ。私は好きだよ?」

「そうか……。なぁ、オフィリア。お前は許せるのか? ボクがリリアーヌと付き合ったり、キスすることも……」
「許すも何も、婚約者でしょ? キスしなくてどうするのよ」

「いや、それは……しかし、ボクたちの結婚は形式上のもの。勢いでキスするわけには――」
「そこが間違い! 確かに形式上かもしれないけど、リリアーヌ様に惚れてもらえばいいの。今日からは一人の女の子として向き合うの」

「惚れてもらうか……。そうかもしれないな。ボクの心のどこかで、リリアーヌはボクを好きではないのかもしれない、という葛藤があった。それは、やはり当たっていたのか」
「ん〜、どうだろうね〜。リリアーヌ様じゃないから分からないけど……私がリリアーヌ様だったら、ロランくんを一人の男として好きにはなれないかな」

「……貴様はどうして、すぐにボクの傷口を広げてくる」
「なに言ってるの。気付けただけでも前進だよ! 今からでも遅くないんだから。ね?」

「……そうか。ありがとう、オフィリア。少し気持ちの整理がついた。ボクには、まだやるべきことがあるな」
「どういたしまして。でもこのままモテ男になって、リリアーヌ様と甘い新婚生活が始まったら面白くないわね。許嫁に拒絶されて破局するシナリオも見てみたいのよ」
「貴様はボクの敵か味方か、どっちだ!!」
「ふふっ、どっちでしょうね? でも落ち込んでるロランくんが全力で突っ走れば、物語としては美しいから……どっちでもいいの」

「キミは本当に変わらないな……。少しはリリアーヌみたく美しい女性を目指してみたらどうだ」
「ロランくんが私に惚れちゃったら困るからね〜。浮気者になったらアーシュベルト家追放されちゃうね?」
「誰がキミなんかを好きになるか!」

オフィリアは変わらない。
変わらない安心感がそこにはあった。
こうしてオフィリアを家まで送った。

オフィリアを見送り、静かになった夜の空気の中で、ボクはリリアーヌを想う。
胸の奥で、確かな決意が芽生えていた――必ず、キミを幸せにする。